【紀行雑記8-1 羊の煙は海を越えて】

狼煙(のろし)の語源は、狼の糞を混ぜて燃やすと煙が垂直に上がりやすい、ということらしいが今回の話は狼ではなく羊の煙である。

 

燻んだ臙脂色の暖簾をくぐると、今にも切れそうな蛍光灯に照らされた店内。壁には煙をいっぱいに吸い込んだメニュー表が貼ってあって、ここで同じものが同じように食され続けてきたことを物語っている。

 

カウンターにつくと、目の前に年季の入った七輪が運ばれてきた。中では紅く火照った炭がパチパチと音を立てている。ややあって、七輪の上に円形山型の鉄板がどすんと乗せられた。鉄板には中央から淵に向かって放射状に溝が彫られている。店主は無言で淵に山盛りの生野菜と、中央に大きな油の塊を置く。油は勢いよく音を立てて溶け始め、透明のキラキラした油は溝を伝って生野菜へと注がれる。

 

街のはずれ、ラブホテルと風俗店が立ち並ぶ中にポツンと佇むジンギスカン店。曇天の夕刻に割れたコンクリを静かな雨が打っていて、時折その中を出勤前の夜の蝶やキャッチのにいちゃん達が歩いていく。

 

ジンギスカンがやってきた。分厚く切り取られた羊達は沈黙どころか銀の器の上で独特の存在感を放っている。その中の一枚を鉄板に乗せると、軽やかな音と共にジビエ特有の肉が焼ける香りがフワリと広がる。私はグラスに赤星を注ぎ、手前の白菜漬けをつまみながらその光景を眺めた。

その時、ふと、脳内にある記憶が蘇る。

 

…あれは昨年の夏、国際会議でソウルに行った時だった。会議前日、中国で開かれた別会議の招待講演帰りのボスとソウルで落ち合い、先輩達も含めて4人で焼肉を食べに行ったのだ。

ホテルからほど近い、タバコの吸い殻やポリ袋のゴミが散乱する裏路地にその店はあった。店に入ると地元の人たちがソジュを傾けながら肉を楽しんでいる。店のウリは"カルメギサル"と呼ばれる豚肉で、部位としては横隔膜と肺の間に当たるらしい。

我々が席に着くと、いかにもという雰囲気のオムニが鉄板を運んでくる。円形山型の鉄板。中央が小高くなっていて方々に溝が彫られている。彼女は鉄板の淵に卵を流し込み、その上から生野菜やキムチを乗せる。

肉を鉄板に乗せる。肉はパチパチと踊り始め、周囲はそれをはやし立てる。脂は軽やかな音とともにタラリと溝を伝い卵へと流れる。ほんのコンマ数秒のその光景はまるで永遠みたいに頭の中にこびりつく。囲んだ机には焼肉の香りが充満し、炭の火照りは我々の頬を赤らめる…。

(そのあとボスが招待講演の稼ぎをはたいて、その上全員が泥酔して翌日の会議に出たことは言うまでもない)

 

また、熱くなった眼前の七輪に意識が戻る。何故だろう。何故、私は同じ鉄板を見ているのだろう。奇妙だ。場所も違えば料理も違う。きっと発祥も文化だって違うだろう。それなのに、それなのに、豚と羊はよく似たステージで踊っている。オペラ歌手と歌舞伎俳優は同じ舞台では踊らないのだ。それなのに。

肉をお代わりして空腹を満たし、店を出ても、その疑問は解消されなかった。否、食欲が満たされた分、謎はもっと大きなものになった。

 

…それからしばらくネットの海を調べてみたが、納得のいく解答は見つからなかった。わかったことは、ジンギスカンが1910年代以降に日本で発祥し広まったこと、他方のカルメギサルは1970年代になってやっと韓国で一般的になったこと、くらいである。2つの料理の祖先が同じかどうか、若しくはどちらかが他方の影響を受けたかどうか、そういった情報は広大なインターネットには皆無であった。

…しかしそれで終わればわざわざ書き残そうとは思わないし、やはり納得できない。謎の解決無くしては、いつまでもあの甘い脂の匂いがこびりついて取れないのだ。と、言うことです専門家の助けを借りることにした。

調べる過程で、北海道は岩見沢に、ジン鍋博物館なるものが存在する事を掴んだのだ。しかも連絡を取ることも可能であった。私はすぐさま、(恥を承知で)館長に連絡を取った。

 

「カクカクシカジカで、ジンギスカンと韓国のカルメギサルで使われる鍋の形状が似ていることに疑問を覚えまして、何かご存知であれば教えてください」

 

もちろんダメ元だった。その代わりに私の仮説を述べよう。おそらく、ジンギスカンは中国(ないしはモンゴル、とりあえず大陸)から伝搬したものの筈だ。とすれば、日本に伝わる以前に朝鮮半島流入していてもおかしくない。大陸→半島→日本というのが私の仮説である。

しかし数日後、その予想は良い意味で打ち砕かれることとなる。館長から返事が来たのだ。

 

韓国のプルコギ文化とジンギスカンには関係があることがわかっていますジンギスカン中国東北部料理コウヤンローが由来で、ジンギスカン鍋の形状は日本に伝わったときに七輪の大きさに合わせて作られたものです。韓国焼肉はもともと針金による網焼きだったようですが、戦前から戦後にかけてジンギスカン鍋に似た形状のものが使われるようになりました。ジンギスカン鍋を模倣したのでしょう。」(中略、意訳)

 

驚いた。中国→韓国→日本ではなくて、中国→日本→韓国だったのだ。(おそらく記憶のカルメギサルも含めて)韓国焼肉の鉄板文化は大陸と日本の輸入逆輸入関係によって形成されたものだったようである。

 

私は多くの場合、こういう類の文化史には興味がない。よく知りもしない国のよく知りもしない時代のおっちゃんおばちゃんがどんな生活をしていたかなんて、大学の教養科目の単位以上の意味などないと思っていた。けれど、こと食に関しては、ある一点で面白いと思うのだ。

"アホもカシコも腹は減る"。例えば数学や物理は限られた人間にしかわからない、研究者の間で伝承されるものであるし、芸術の類だってそうだろう。けれど、食文化はそうではない。誰だって腹が減る。腹が減れば美味いものが食いたくなる。その単純な原理だけで、文化は何百年何千年と受け継がれるのだ。美味い料理の前ではアホもカシコも無いのである。

そしてそれは言語にも似ている。生活に密着し誰もが言葉を話す。愛を伝えたり時には争ったり。言葉は少しずつ変化して、海を渡り、また使われる。文化水準の差こそあれ、誰だって愛を伝えたいし、それはきっと美しいものであれと願うはずなのだ。そこには原理的に、いかなる貴賎も存在しない。

さらに言えば、そういった人間の純粋な欲求に結びついた文化は進化し続ける。館長の返答には最後にこう付け加えられている。

 

1990年代からはタイでムーガタ鍋という料理が普及しています。これはジンギスカン料理や韓国焼肉料理をタイ式にアレンジしたものと考えられます。」

 

文化史はもはや歴史では無い。今、この世界に生きている我々が創造するものなのだ。我々の我々による我々のための美味いもん。

 

 

優しい丸みを帯びた鉄板を前にして、今は遠くなってしまった海の向こうを思った。会議で出会った現地の友達は元気だろうか。

遠くの国から高く高く立ち昇る文化の狼煙が見えたような気がした。

 

 

(注  述の事実には多少の誤謬があるかもしれません。また、食についても言葉についても一筋縄ではいかない問題が山積していることを承知の上での記載です)