【雑感 バリカタのイデアを求めて】

以前(かなり前になるが)、美食家ゴリラとラーメン屋に入った。終電が差し迫る平日の夜のことだ。

店は博多系豚骨の細麺を売りにしている。店内には飲み会帰りと思われるスーツの集団や学生と思しきひとり客がちらほらと見える。カウンターに座り、店員が注文を取りに来ると、ゴリラが前のめりに言う。

「ラーメン、バリカタで。」

出た!バリカタ星人。そう、美食家ゴリラはバリカタ星人なのだ。

 

…元来、私は"バリカタ"という文化に馴染めないでいる。もちろんそれは他人の嗜好をとやかく言うものではない。そうではなくて、筋が通らないと思うのだ。バリカタ星人の多くは、初めて入ったラーメン屋でも平気で、

「ラーメン、バリカタで。」

と頼むわけである。しかし考えてみると、その店の設定する"バリカタ"を星人は知らないはずなのである。もし本当に"バリバリのカタカタ"が出てきたらどうするのだろう。それはないとしても、その店のバリカタが星人の中ではハリガネに位置するものだった時、星人はどうするつもりなのだろうか。

そういった理由から、筋を通すためにはまず一杯目は"フツウ"を頼んで、二杯目以降に"バリカタ"だの"ハリガネ"だの"粉落とし"だのを頼むべきなのである。(より厳密に言えば一杯目の"フツウ"、二杯目の"フツウ"以外の硬さを頼んでやっと、その店の基準と変化率が分かるわけであるがまぁそこまで要求すると毎回三杯以上食べることになるから現実的ではない。)

 

ラーメン屋を出て私は美食家ゴリラことバリカタ星人にこの矛盾について話した。すると星人は、

「お前も定食屋で大盛頼むやん。」

と反論してきたのだ。ゴリラのくせに生意気だ。けれども、確かに。確かに私も定食屋ではいつも大盛を頼んでしまう。

矢野兵動兵動大樹が『おしゃべり大好き』のある回で大盛と決別できない、という話をしていたが、何を隠そう、私も大盛の重力から逃れられない俗人の一人である。初めて入った定食屋で大盛無料と書いてあればそれだけで、

(良い店を見つけた)

と思ってしまうタイプだ。しかしゴリラの言うように、私は普通盛のサイズを知らないくせに大盛を頼んでしまう。これではバリカタ星人と同じではないだろうか。

 

…いやいや、ちょっと待て、まだ私はゴリラに負けていない。私は人間、ゴリラはゴリラなのだから負けるわけがない。

「でも、大盛は残せるけど、バリカタはもう変えられへんやん。」

これだ。大盛は定量的性質だが、バリカタは定性的性質であるからこちらで調節できないのだ。するとゴリラは、

「でも、バリカタって待ってたらフツウに戻るやん。」

ぐぬぬ…確かに。状態変化を突いてきたゴリラに私は閉口せざるを得ない。

「え、けどその場合お前はアツアツのラーメンを前にして麺が伸びるの待つってこと?」

「いや、食ってたら途中からちょうど良い硬さになる。」

発想はいかにもだが、今回のゴリラはなんだか強敵だ。白米の頃とは何かが違う。この短期間にゴリラから原人に驚異的進化を遂げたのだろうか。なにしろこの状態変化、ウイスキーオンザロックと同じ考え方である。

 

…この話を博多出身の知り合いに話したら、

「バリカタにはイデアがある。」

と言われた。ラーメン屋に依存しない麺の固さに対するイデアだ。

もしその話が正しいとすると、少なくとも私の中の"大盛論"と"バリカタのパラドクス"には似て非なるものがある。私が大盛を頼むとき、そこには一種の逃げが存在していて、もしどうしても食べきれなかったらごめんなさいしよう、という言い訳を設けているが、イデアを有する人々はそのような逃げの口上を挟むことなく、イデアという究極的な対象の下で微塵の憂いもなく行動しているのである。言い過ぎか。

しかし考えてみると、そういう会話はそこいらに遍在していて、多くを語らずしての意思疎通を可能にしたり、また逆に、我々の決定を難しくしている。ステーキのレア、ミディアム、ウェルダン、缶コーヒーの無糖と微糖と加糖…。

 

…我々は知らず知らずのうちに、ある種の基準のようなものを共有しているのかもしれない。それはイデア論や人類がどうという大きなものではなくて、普段の生活、日常の風景に隠れているものだ。そういう、言葉を介在しない共通意識、言うなれば"音のない了解"は、多く潜み、それらが我々の認識や人間関係を下支えしているのかもしれない。言葉なしに"かくあるべきこと"を"かくあるべきこと"として認知する。ラーメン屋で聞こえる

「ラーメン、バリカタで。」

には、共通認識と信頼性の上に成立する人間社会の隠された構造が垣間見える。

 

この一連から少しして博多でラーメンを食べる機会があった。試しに初めからバリカタを頼んでみる。

「ラーメン、バリカタで。」

…やはり私にはまだ、バリカタのイデアがどのようなものなのかわからない。またもや、ゴリラの感性に驚かされることになった。私はこれからもこの毛深い美食家に度肝を抜かれ続けるのだろうか。

 

…という締めくくりは歓迎されることかもしれないが、残念ながらラーメン屋の帰りに彼は言った。

「まぁ俺の場合、早く出てくるからバリカタなんやけどな。腹減ってるし。」

「え、あぁ、そうなん。」

 

…やはり、このゴリラは想像を超える。