【雑感 小麦のラバはIoTの夢を見るか】

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先に断っておくが、これは動物の話でもテクノロジーの話でも、もちろん電気羊の話でもない。

 

これは、麺類の話だ。

 

麺食文化が世界の至る所で多発的に発生、発展してきたという事実は、冷静に考えてみるとかなり奇妙である。神秘的と言っても良い。なぜなら、それはすなわち、人類は本質的に麺に対する嗜好を有しているということだからだ。

さらに付け加えれば、麺類というのは茹でと切断、すなわち火とナイフという、人類特有の知性(文明と言っても良い)によって始めて達成される文化である。したがってその嗜好は人類にのみ許されたものである点も実に愉快である。(他の動物がコシやノドゴシという概念を持つかという問題はそれはそれで面白いがそれはまた別の機会に)

ともかく、麺食文化の発展は人類知性に裏打ちされたものであり、他の食文化と一線を画すものであると言って、まず反駁の余地はないだろう。

 

ところで、我々が普段口にしている麺類は何も何百年も前からあるものだけではない。1950年代に東京で発症した"つけ麺"という食べ方は麺世界の中ではまだ日の浅い赤ちゃんである。にもかかわらず今日においてこれだけ広く普及し、市民権を得ているという点で非常に"優れた"麺であると言える。

個人的にこの"つけ麺"という概念に出会ったのはおそらくここ数年のことである。それ以前の私的麺世界にはまだつけ麺というお友達は存在せず、もっぱらそばうどんパスタラーメンといった風であった。ではいつ出会ったかというと定かではないのだけど、少なくとも最初の頃は食わず嫌いというか、あまり馴染めない概念だったことを覚えている。

なぜ馴染めなかったかという話は後述するとして、一度嫌悪の壁を越えると、その後の親密さは目を見張るものだった。どちらかといえばラーメンよりつけ麺が食べたいなと思うようになったし、味に対して好き嫌いもできた。今ではそばを凌がんとする程である。もちろんうどんほどではないけれど。

 

しかし、どうして誕生から70年ほどのつけ麺がここまで人気を博しているか、というのは考えてみても良い問題のように思われる。なぜここまで我々の文化に浸透したのか。

 

…まずは、実際に食している風景を思い浮かべてるところから始めよう。アツアツのスープと冷たく締められた麺が運ばれてくる。太めのちぢれ麺を魚介豚骨出汁が効いたスープにドボン、麺をリリースすることなく箸でしっかり押さえながらしばしの上下運動。その後イッキにズルズルっ…といった調子である。

…さて、もうお気づきだろうか、そう、つけ麺というのはうどんやそばの特徴である"コシ・ノドゴシ"と、和食にはない中華特有の"奥深く濃厚なスープ"を併せ持っているのである。これがつけ麺のつけ麺たる所以だ。あぁ今日はつけ麺だな。

つまり、つけ麺というのは、そばうどんといった和食麺類とラーメンという中華麺類の"イイトコドリ"を実現しているわけである。そりゃ愛されるよな。

…だけど残念ながら、ここで描きたいのは私のつけ麺に対する賛辞ではないし、もちろんそばうどんやラーメンが劣っているということでもない。私が言いたいのは、

"合いの子は一長一短だ"

ということである。

 

 

ラバという動物がいる。オスのロバとメスのウマを人工的に交配させ誕生した、いわば動物界の"イイトコドリ"である。鳥じゃないけど。

もちろん人工交配ということなので、人間にとってウマよりロバよりうまい部分があるということで、実際、ウマより利口でロバより頑丈だと言われているようだ。

けれども、ではなにもかもラバが優れているかというと、残念ながらそうではないらしい。何より、ラバは交配できない。もともとウマとロバは染色体の数が異なり、それらの子孫であるラバは奇数本の染色体を有する。したがってラバ自体には交配能力が無いと言われている。何もかもがうまくいくことなんて、この世界には存在しないのである。

 

 

話を戻そう。イイトコドリには短所がある。もちろんつけ麺にも。さっき思い浮かべた風景を再度想起すると、アツアツのスープに冷たい麺をじゃぼんしている。そうそう、これでは終盤スープが冷えてしまう。これがつけ麺のウィークポイント。

つけ麺から見てウマとロバにあたる、ざるうどんそばとラーメンを少し抽象化すると、ざるうどんそばは"冷たい麺を冷たいスープにじゃぼん"であり、ラーメンは"熱い麺を熱いスープにじゃぼん"である。だから基本的にその合いの子であるつけ麺は"冷たい麺を熱いスープにじゃぼん"ということになるわけだが(のどごしや濃厚スープを楽しむためにはこれしか無い)、だから温度という観点で、麺とスープは常に喧嘩しているわけである。

そしてこの事実こそ、私がある時期つけ麺を敬遠していた理由である。うどんそばとラーメンという既存概念からの脱却にある程度の時間を要したのだ。

 

…もちろん私はアツモリがあることを知っている。スープが冷めれば焼け石投下システムがあることも、スープ割りという楽しみ方があることも知っている。でもそれは、付け焼き刃にすぎず、どこまでいっても麺とスープは喧嘩する。(アツモリは麺が伸びてしまうし、焼け石は自意識が邪魔をして頼みづらいし、スープ割りはもうつけ麺では無い)

 

じゃあどうするか、そういえば、温度をスマホから調節して定温を維持できるマグカップがあったな。あぁ、あれをつけ麺にも応用すればいいじゃないか。

 

 

…果たして、小麦の香り漂う麺世界のラバは、温度概念の壁を超えてIoTの夢を見るのだろうか。文明の代名詞とも言える麺世界にも、ついにIoTの波がやってくるかもしれないというお話。多分来ないけど。おわり。