【雑感 食い意地の分析哲学】
ーーーおよそ像が写像されるものの像となりうるためには、像と写像されるもののうちに、何か同一のものが存在しなければならないーーー(『論理哲学論考』)
誰かと食堂に入って、私はうどんを頼んだのに、向かいに座る人がカレーを頼んだら急にカレーが食べたくなった、というような経験は誰にでもあるのではないか。今までうどんに胸膨らませていたのに、カレーという言葉を聞いた途端、うどんはジワジワとその地位を失って、やがて陳腐で滑稽に見えてくる。
どうして私はカレーにしなかったのだろう。
後悔というよりは過去の私に対する憤怒に似た感情を抱えながら、味のしなくなったうどんをすする。はぁ、今度来た時はカレーにしよ。
ところで、こういう類の"食い意地"的発想はどうして生まれるのだろう。
我々は類似した現象が多発する時、そこに何らかのメカニズムが存在する可能性を疑う。いわゆる再現性、というやつだ。そしてどのようにすればメカニズムを明晰的に説明しうるかということを考える。まぁおよそ科学というのはそういう営みです。多分。
ちゅうわけで、斯様な現象をうまく説明したいのだけど、話があんまりにも漠々然としているのでもうちょっと構造化することにしよう。
1.私は食堂に入り席に座ったタイミングでうどんを食べたかった。
2.その後カレーが食べたくなった。その原因は向かいの人がカレーを頼んだからだ。
3.うどんもカレーもまだ見ていない。
というのが今回の出来事を構成する事実である。(あんまりにもバカバカしいことを書いているなと自認しております)
さて、少々ペダンティックではあるが、この現象を説明するために、分析哲学言語哲学の大家ヴィトゲンシュタインによる"像の理論"を借用することにしよう。
像の理論とは、
" ある言語によって構成された命題はそれと一対一対応する像を持ち、像を持った命題(事実)の総体が世界である "
というもの。(専門家の方へ、門外漢ですのでご容赦ください)
楽譜と音楽、地図と土地、言葉と物事…なにかを説明する"言語"と説明される対象、そこに結ばれる像の理論。(詳しくは『論理哲学論考』で検索)
席に座った私は、
1.うどんを食べる
という命題pを念頭に置いていた。この時、私の中の論理空間にはpという命題とその否定、〜pが存在している。但し、ヴィトゲンシュタインによると、うどんを食べるというpに対応する像はあるが、うどんを食べない(〜p)には像がない。(なんのこっちゃ)
そして向かいの人によって新たに
2.カレーを食べる
という命題qが提示される。すると論理空間の中ではどのような変化が起こるか、それが私がここで問題にしたいことである。
即ち、もともと像を持たなかった〜pという命題に向かいの人がカレーを頼んだことでqが対応づけられる。つまり、
カレーを頼む前
→〜pには像がない。
カレーを頼んだ後
→〜p=qが成立し、うどんを食べないという命題がカレーを食べるという命題に(その場で)関係付けられる。〜pに像が生まれる。
つまり、2の後に〜pに対応する像が生まれ、したがって私の中で"うどんを食べない"という選択肢がより明瞭になるわけである。(なんのこっちゃ)
(注意、以降の文章はほとんどなにも伝わらないと思います)こういう構図は食い意地以外にも当てはまるのではないかと思ったりする。つまり、ある肯定的命題pが存在するとかそこには〜pも存在する。しかし後者は像を持たず、我々はしたがってpに比べて〜pを過小に評価する。しかし、〜pを別の肯定的命題qで置換すると今度はパワーバランスの逆転が起きて評価軸が変わる、というようなことである。(言語を相手にした像の理論と人間の欲求を関連付けたかった)
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もはや行き過ぎた衒学趣味、奇妙奇天烈な文章になってしまっていて、私自身もどこに着地させれば良いかわからなくなっているのだが、最後に、どうしてこうも馬鹿げたことを考えてみたか、ということについて付記してこの陰鬱なポエムを終えたいと思う。
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学とは何か、という問いに対する私の答えは人生の各ステージで変容し止まるところがない。しかし今現在、学とは"有用であること"だと考えている。(プラグマティズム的なと解釈してもらっても良いです)
我々の脳髄が学問と呼んで囃し立てている不可解な論理体系は、(少なくともある面で)この世界を説明できなければならない。この世界の非自明な事象の一端を説明できなければならない。それは未知を探求する科学でも、既知を考究する哲学においても変わらない、私はそう考える。
したがってこの荒唐無稽な考察は哲学がある非自明な現象を解説する可能性があることを提示したいという欲求の発露である。
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ふぅ、誰が乗り移ったらこんなイタイ文章になるねん。疲れた。おわり。