【紀行雑記9-1 なれる】

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出張の折、かなり久々に飛行機に乗る。この空飛ぶ鉄の塊に対しては人によって得手不得手があるだろうが、私はいくつになっても、そしてそれが旅行でもそうでなくても、ワクワクしてしまう。

 

搭乗ゲート近く、滑走路を臨むベンチに座り、ふと、遠出するのはいつぶりだろうかと考える。すぐに思い出せない自分にも驚くが、最近の出張がもうかれこれ1年近く前であることにさらに驚く。

 

周囲を見回すと至る所にパーテーションがあるように、我々の生活は容易く分断されてしまった。それは単に人と人、空間と空間だけではない。連続的に接続されるはずの過去と現在、そして未来。または出会うはずだった人や街、あらゆる邂逅。さらには人々の関係性や伴う希望的な某すら。そこに立てられた透明なカベはますます我々の声を籠らせ、世界を不透明なものにしている。

 

そんな憂いにも似た感情を苦々しく噛んでいると、搭乗のアナウンスが流れる。ゲートを進むと、あのなんとも言えない油臭い匂いが込み上げてくる。ここをくぐれば少しの間、この塊の中で空を飛ぶわけだ。入口でキャビンアテンダントが浮かべる笑顔はなんだかいつもより複雑なものに見えた。

 

そう、ちょうど窓のない飛行機に乗るように、僕らはずっと不安定な旅をしている。それがどこへ向かうのか、知らされないままに時折押し寄せる上下左右の揺れに耐えながら。塊はたくさんの人生を乗せて、フワフワと宙に浮き続けている。僕らは、このまま着陸しないのではないかという不安をずっと胸の奥底にはらみながら、それでも尚、与えられた座席にキチンと座っているのだ。

 

ややあって、飛行機は走り出した。静かな機内と裏腹にエンジンはけたたましく轟かせる。鉄の塊は少しずつ速度を上げ、やがてフワリと宙に浮く。窓を開けると、沈みかけた西日がグサリと前の座席の一点を突き刺した。

 

僕らを運ぶ轟音は、あまりにも耳障りだ。けれど不思議なことにある時すっと感じなくなる。平たく言うとそれは"音に慣れた"と言うことなのだけれど、一連の現象を自認した時、一種奇妙な感覚に陥る。あんなにも煩かった音にすら、僕らは慣れてしまうのだ。それを当たり前のこととして享受し、当たり前のこととして許容する。鉄の塊は前に進むために、僕らと静けさを分断する。

 

ボーッと外を眺めていると飛行機は高度を落とし、やがて着陸のアナウンスが流れる。機体はマジックアワーにさしかかる地方空港へとその体を滑らせる。知らない街に来たことに由来する緊張の中にポタリと垂らされた期待感がポワンと広がっていく。

 

轟音に慣れた僕らはいつか、新しい何かに成れるのだろうか。

【紀行雑記8-1 羊の煙は海を越えて】

狼煙(のろし)の語源は、狼の糞を混ぜて燃やすと煙が垂直に上がりやすい、ということらしいが今回の話は狼ではなく羊の煙である。

 

燻んだ臙脂色の暖簾をくぐると、今にも切れそうな蛍光灯に照らされた店内。壁には煙をいっぱいに吸い込んだメニュー表が貼ってあって、ここで同じものが同じように食され続けてきたことを物語っている。

 

カウンターにつくと、目の前に年季の入った七輪が運ばれてきた。中では紅く火照った炭がパチパチと音を立てている。ややあって、七輪の上に円形山型の鉄板がどすんと乗せられた。鉄板には中央から淵に向かって放射状に溝が彫られている。店主は無言で淵に山盛りの生野菜と、中央に大きな油の塊を置く。油は勢いよく音を立てて溶け始め、透明のキラキラした油は溝を伝って生野菜へと注がれる。

 

街のはずれ、ラブホテルと風俗店が立ち並ぶ中にポツンと佇むジンギスカン店。曇天の夕刻に割れたコンクリを静かな雨が打っていて、時折その中を出勤前の夜の蝶やキャッチのにいちゃん達が歩いていく。

 

ジンギスカンがやってきた。分厚く切り取られた羊達は沈黙どころか銀の器の上で独特の存在感を放っている。その中の一枚を鉄板に乗せると、軽やかな音と共にジビエ特有の肉が焼ける香りがフワリと広がる。私はグラスに赤星を注ぎ、手前の白菜漬けをつまみながらその光景を眺めた。

その時、ふと、脳内にある記憶が蘇る。

 

…あれは昨年の夏、国際会議でソウルに行った時だった。会議前日、中国で開かれた別会議の招待講演帰りのボスとソウルで落ち合い、先輩達も含めて4人で焼肉を食べに行ったのだ。

ホテルからほど近い、タバコの吸い殻やポリ袋のゴミが散乱する裏路地にその店はあった。店に入ると地元の人たちがソジュを傾けながら肉を楽しんでいる。店のウリは"カルメギサル"と呼ばれる豚肉で、部位としては横隔膜と肺の間に当たるらしい。

我々が席に着くと、いかにもという雰囲気のオムニが鉄板を運んでくる。円形山型の鉄板。中央が小高くなっていて方々に溝が彫られている。彼女は鉄板の淵に卵を流し込み、その上から生野菜やキムチを乗せる。

肉を鉄板に乗せる。肉はパチパチと踊り始め、周囲はそれをはやし立てる。脂は軽やかな音とともにタラリと溝を伝い卵へと流れる。ほんのコンマ数秒のその光景はまるで永遠みたいに頭の中にこびりつく。囲んだ机には焼肉の香りが充満し、炭の火照りは我々の頬を赤らめる…。

(そのあとボスが招待講演の稼ぎをはたいて、その上全員が泥酔して翌日の会議に出たことは言うまでもない)

 

また、熱くなった眼前の七輪に意識が戻る。何故だろう。何故、私は同じ鉄板を見ているのだろう。奇妙だ。場所も違えば料理も違う。きっと発祥も文化だって違うだろう。それなのに、それなのに、豚と羊はよく似たステージで踊っている。オペラ歌手と歌舞伎俳優は同じ舞台では踊らないのだ。それなのに。

肉をお代わりして空腹を満たし、店を出ても、その疑問は解消されなかった。否、食欲が満たされた分、謎はもっと大きなものになった。

 

…それからしばらくネットの海を調べてみたが、納得のいく解答は見つからなかった。わかったことは、ジンギスカンが1910年代以降に日本で発祥し広まったこと、他方のカルメギサルは1970年代になってやっと韓国で一般的になったこと、くらいである。2つの料理の祖先が同じかどうか、若しくはどちらかが他方の影響を受けたかどうか、そういった情報は広大なインターネットには皆無であった。

…しかしそれで終わればわざわざ書き残そうとは思わないし、やはり納得できない。謎の解決無くしては、いつまでもあの甘い脂の匂いがこびりついて取れないのだ。と、言うことです専門家の助けを借りることにした。

調べる過程で、北海道は岩見沢に、ジン鍋博物館なるものが存在する事を掴んだのだ。しかも連絡を取ることも可能であった。私はすぐさま、(恥を承知で)館長に連絡を取った。

 

「カクカクシカジカで、ジンギスカンと韓国のカルメギサルで使われる鍋の形状が似ていることに疑問を覚えまして、何かご存知であれば教えてください」

 

もちろんダメ元だった。その代わりに私の仮説を述べよう。おそらく、ジンギスカンは中国(ないしはモンゴル、とりあえず大陸)から伝搬したものの筈だ。とすれば、日本に伝わる以前に朝鮮半島流入していてもおかしくない。大陸→半島→日本というのが私の仮説である。

しかし数日後、その予想は良い意味で打ち砕かれることとなる。館長から返事が来たのだ。

 

韓国のプルコギ文化とジンギスカンには関係があることがわかっていますジンギスカン中国東北部料理コウヤンローが由来で、ジンギスカン鍋の形状は日本に伝わったときに七輪の大きさに合わせて作られたものです。韓国焼肉はもともと針金による網焼きだったようですが、戦前から戦後にかけてジンギスカン鍋に似た形状のものが使われるようになりました。ジンギスカン鍋を模倣したのでしょう。」(中略、意訳)

 

驚いた。中国→韓国→日本ではなくて、中国→日本→韓国だったのだ。(おそらく記憶のカルメギサルも含めて)韓国焼肉の鉄板文化は大陸と日本の輸入逆輸入関係によって形成されたものだったようである。

 

私は多くの場合、こういう類の文化史には興味がない。よく知りもしない国のよく知りもしない時代のおっちゃんおばちゃんがどんな生活をしていたかなんて、大学の教養科目の単位以上の意味などないと思っていた。けれど、こと食に関しては、ある一点で面白いと思うのだ。

"アホもカシコも腹は減る"。例えば数学や物理は限られた人間にしかわからない、研究者の間で伝承されるものであるし、芸術の類だってそうだろう。けれど、食文化はそうではない。誰だって腹が減る。腹が減れば美味いものが食いたくなる。その単純な原理だけで、文化は何百年何千年と受け継がれるのだ。美味い料理の前ではアホもカシコも無いのである。

そしてそれは言語にも似ている。生活に密着し誰もが言葉を話す。愛を伝えたり時には争ったり。言葉は少しずつ変化して、海を渡り、また使われる。文化水準の差こそあれ、誰だって愛を伝えたいし、それはきっと美しいものであれと願うはずなのだ。そこには原理的に、いかなる貴賎も存在しない。

さらに言えば、そういった人間の純粋な欲求に結びついた文化は進化し続ける。館長の返答には最後にこう付け加えられている。

 

1990年代からはタイでムーガタ鍋という料理が普及しています。これはジンギスカン料理や韓国焼肉料理をタイ式にアレンジしたものと考えられます。」

 

文化史はもはや歴史では無い。今、この世界に生きている我々が創造するものなのだ。我々の我々による我々のための美味いもん。

 

 

優しい丸みを帯びた鉄板を前にして、今は遠くなってしまった海の向こうを思った。会議で出会った現地の友達は元気だろうか。

遠くの国から高く高く立ち昇る文化の狼煙が見えたような気がした。

 

 

(注  述の事実には多少の誤謬があるかもしれません。また、食についても言葉についても一筋縄ではいかない問題が山積していることを承知の上での記載です)

【雑感 バリカタのイデアを求めて】

以前(かなり前になるが)、美食家ゴリラとラーメン屋に入った。終電が差し迫る平日の夜のことだ。

店は博多系豚骨の細麺を売りにしている。店内には飲み会帰りと思われるスーツの集団や学生と思しきひとり客がちらほらと見える。カウンターに座り、店員が注文を取りに来ると、ゴリラが前のめりに言う。

「ラーメン、バリカタで。」

出た!バリカタ星人。そう、美食家ゴリラはバリカタ星人なのだ。

 

…元来、私は"バリカタ"という文化に馴染めないでいる。もちろんそれは他人の嗜好をとやかく言うものではない。そうではなくて、筋が通らないと思うのだ。バリカタ星人の多くは、初めて入ったラーメン屋でも平気で、

「ラーメン、バリカタで。」

と頼むわけである。しかし考えてみると、その店の設定する"バリカタ"を星人は知らないはずなのである。もし本当に"バリバリのカタカタ"が出てきたらどうするのだろう。それはないとしても、その店のバリカタが星人の中ではハリガネに位置するものだった時、星人はどうするつもりなのだろうか。

そういった理由から、筋を通すためにはまず一杯目は"フツウ"を頼んで、二杯目以降に"バリカタ"だの"ハリガネ"だの"粉落とし"だのを頼むべきなのである。(より厳密に言えば一杯目の"フツウ"、二杯目の"フツウ"以外の硬さを頼んでやっと、その店の基準と変化率が分かるわけであるがまぁそこまで要求すると毎回三杯以上食べることになるから現実的ではない。)

 

ラーメン屋を出て私は美食家ゴリラことバリカタ星人にこの矛盾について話した。すると星人は、

「お前も定食屋で大盛頼むやん。」

と反論してきたのだ。ゴリラのくせに生意気だ。けれども、確かに。確かに私も定食屋ではいつも大盛を頼んでしまう。

矢野兵動兵動大樹が『おしゃべり大好き』のある回で大盛と決別できない、という話をしていたが、何を隠そう、私も大盛の重力から逃れられない俗人の一人である。初めて入った定食屋で大盛無料と書いてあればそれだけで、

(良い店を見つけた)

と思ってしまうタイプだ。しかしゴリラの言うように、私は普通盛のサイズを知らないくせに大盛を頼んでしまう。これではバリカタ星人と同じではないだろうか。

 

…いやいや、ちょっと待て、まだ私はゴリラに負けていない。私は人間、ゴリラはゴリラなのだから負けるわけがない。

「でも、大盛は残せるけど、バリカタはもう変えられへんやん。」

これだ。大盛は定量的性質だが、バリカタは定性的性質であるからこちらで調節できないのだ。するとゴリラは、

「でも、バリカタって待ってたらフツウに戻るやん。」

ぐぬぬ…確かに。状態変化を突いてきたゴリラに私は閉口せざるを得ない。

「え、けどその場合お前はアツアツのラーメンを前にして麺が伸びるの待つってこと?」

「いや、食ってたら途中からちょうど良い硬さになる。」

発想はいかにもだが、今回のゴリラはなんだか強敵だ。白米の頃とは何かが違う。この短期間にゴリラから原人に驚異的進化を遂げたのだろうか。なにしろこの状態変化、ウイスキーオンザロックと同じ考え方である。

 

…この話を博多出身の知り合いに話したら、

「バリカタにはイデアがある。」

と言われた。ラーメン屋に依存しない麺の固さに対するイデアだ。

もしその話が正しいとすると、少なくとも私の中の"大盛論"と"バリカタのパラドクス"には似て非なるものがある。私が大盛を頼むとき、そこには一種の逃げが存在していて、もしどうしても食べきれなかったらごめんなさいしよう、という言い訳を設けているが、イデアを有する人々はそのような逃げの口上を挟むことなく、イデアという究極的な対象の下で微塵の憂いもなく行動しているのである。言い過ぎか。

しかし考えてみると、そういう会話はそこいらに遍在していて、多くを語らずしての意思疎通を可能にしたり、また逆に、我々の決定を難しくしている。ステーキのレア、ミディアム、ウェルダン、缶コーヒーの無糖と微糖と加糖…。

 

…我々は知らず知らずのうちに、ある種の基準のようなものを共有しているのかもしれない。それはイデア論や人類がどうという大きなものではなくて、普段の生活、日常の風景に隠れているものだ。そういう、言葉を介在しない共通意識、言うなれば"音のない了解"は、多く潜み、それらが我々の認識や人間関係を下支えしているのかもしれない。言葉なしに"かくあるべきこと"を"かくあるべきこと"として認知する。ラーメン屋で聞こえる

「ラーメン、バリカタで。」

には、共通認識と信頼性の上に成立する人間社会の隠された構造が垣間見える。

 

この一連から少しして博多でラーメンを食べる機会があった。試しに初めからバリカタを頼んでみる。

「ラーメン、バリカタで。」

…やはり私にはまだ、バリカタのイデアがどのようなものなのかわからない。またもや、ゴリラの感性に驚かされることになった。私はこれからもこの毛深い美食家に度肝を抜かれ続けるのだろうか。

 

…という締めくくりは歓迎されることかもしれないが、残念ながらラーメン屋の帰りに彼は言った。

「まぁ俺の場合、早く出てくるからバリカタなんやけどな。腹減ってるし。」

「え、あぁ、そうなん。」

 

…やはり、このゴリラは想像を超える。

 

 

【雑感 小麦のラバはIoTの夢を見るか】

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先に断っておくが、これは動物の話でもテクノロジーの話でも、もちろん電気羊の話でもない。

 

これは、麺類の話だ。

 

麺食文化が世界の至る所で多発的に発生、発展してきたという事実は、冷静に考えてみるとかなり奇妙である。神秘的と言っても良い。なぜなら、それはすなわち、人類は本質的に麺に対する嗜好を有しているということだからだ。

さらに付け加えれば、麺類というのは茹でと切断、すなわち火とナイフという、人類特有の知性(文明と言っても良い)によって始めて達成される文化である。したがってその嗜好は人類にのみ許されたものである点も実に愉快である。(他の動物がコシやノドゴシという概念を持つかという問題はそれはそれで面白いがそれはまた別の機会に)

ともかく、麺食文化の発展は人類知性に裏打ちされたものであり、他の食文化と一線を画すものであると言って、まず反駁の余地はないだろう。

 

ところで、我々が普段口にしている麺類は何も何百年も前からあるものだけではない。1950年代に東京で発症した"つけ麺"という食べ方は麺世界の中ではまだ日の浅い赤ちゃんである。にもかかわらず今日においてこれだけ広く普及し、市民権を得ているという点で非常に"優れた"麺であると言える。

個人的にこの"つけ麺"という概念に出会ったのはおそらくここ数年のことである。それ以前の私的麺世界にはまだつけ麺というお友達は存在せず、もっぱらそばうどんパスタラーメンといった風であった。ではいつ出会ったかというと定かではないのだけど、少なくとも最初の頃は食わず嫌いというか、あまり馴染めない概念だったことを覚えている。

なぜ馴染めなかったかという話は後述するとして、一度嫌悪の壁を越えると、その後の親密さは目を見張るものだった。どちらかといえばラーメンよりつけ麺が食べたいなと思うようになったし、味に対して好き嫌いもできた。今ではそばを凌がんとする程である。もちろんうどんほどではないけれど。

 

しかし、どうして誕生から70年ほどのつけ麺がここまで人気を博しているか、というのは考えてみても良い問題のように思われる。なぜここまで我々の文化に浸透したのか。

 

…まずは、実際に食している風景を思い浮かべてるところから始めよう。アツアツのスープと冷たく締められた麺が運ばれてくる。太めのちぢれ麺を魚介豚骨出汁が効いたスープにドボン、麺をリリースすることなく箸でしっかり押さえながらしばしの上下運動。その後イッキにズルズルっ…といった調子である。

…さて、もうお気づきだろうか、そう、つけ麺というのはうどんやそばの特徴である"コシ・ノドゴシ"と、和食にはない中華特有の"奥深く濃厚なスープ"を併せ持っているのである。これがつけ麺のつけ麺たる所以だ。あぁ今日はつけ麺だな。

つまり、つけ麺というのは、そばうどんといった和食麺類とラーメンという中華麺類の"イイトコドリ"を実現しているわけである。そりゃ愛されるよな。

…だけど残念ながら、ここで描きたいのは私のつけ麺に対する賛辞ではないし、もちろんそばうどんやラーメンが劣っているということでもない。私が言いたいのは、

"合いの子は一長一短だ"

ということである。

 

 

ラバという動物がいる。オスのロバとメスのウマを人工的に交配させ誕生した、いわば動物界の"イイトコドリ"である。鳥じゃないけど。

もちろん人工交配ということなので、人間にとってウマよりロバよりうまい部分があるということで、実際、ウマより利口でロバより頑丈だと言われているようだ。

けれども、ではなにもかもラバが優れているかというと、残念ながらそうではないらしい。何より、ラバは交配できない。もともとウマとロバは染色体の数が異なり、それらの子孫であるラバは奇数本の染色体を有する。したがってラバ自体には交配能力が無いと言われている。何もかもがうまくいくことなんて、この世界には存在しないのである。

 

 

話を戻そう。イイトコドリには短所がある。もちろんつけ麺にも。さっき思い浮かべた風景を再度想起すると、アツアツのスープに冷たい麺をじゃぼんしている。そうそう、これでは終盤スープが冷えてしまう。これがつけ麺のウィークポイント。

つけ麺から見てウマとロバにあたる、ざるうどんそばとラーメンを少し抽象化すると、ざるうどんそばは"冷たい麺を冷たいスープにじゃぼん"であり、ラーメンは"熱い麺を熱いスープにじゃぼん"である。だから基本的にその合いの子であるつけ麺は"冷たい麺を熱いスープにじゃぼん"ということになるわけだが(のどごしや濃厚スープを楽しむためにはこれしか無い)、だから温度という観点で、麺とスープは常に喧嘩しているわけである。

そしてこの事実こそ、私がある時期つけ麺を敬遠していた理由である。うどんそばとラーメンという既存概念からの脱却にある程度の時間を要したのだ。

 

…もちろん私はアツモリがあることを知っている。スープが冷めれば焼け石投下システムがあることも、スープ割りという楽しみ方があることも知っている。でもそれは、付け焼き刃にすぎず、どこまでいっても麺とスープは喧嘩する。(アツモリは麺が伸びてしまうし、焼け石は自意識が邪魔をして頼みづらいし、スープ割りはもうつけ麺では無い)

 

じゃあどうするか、そういえば、温度をスマホから調節して定温を維持できるマグカップがあったな。あぁ、あれをつけ麺にも応用すればいいじゃないか。

 

 

…果たして、小麦の香り漂う麺世界のラバは、温度概念の壁を超えてIoTの夢を見るのだろうか。文明の代名詞とも言える麺世界にも、ついにIoTの波がやってくるかもしれないというお話。多分来ないけど。おわり。

 

【雑感 歯磨き粉には試食がない】

素晴らしいことに、歯磨き粉はおよそ口内環境と呼ばれる類のものは全て網羅的に処理してくれる。歯周病歯槽膿漏も知覚過敏もホワイトニングまで、なんでもだ。

けれどそれと同じくらい残念なことに、種類が多すぎる。そんなになんでも治せるのだったら全部が全部1本で治せる歯磨き粉を作ってくれればいいではないか。…まぁ人生そんな甘くはないのだろう。

加えて、歯磨き粉の"味"にも問題がある。ミントなんとかだとか、クリーンなんとかだとか、それだけでは一切味の想像がつかないような名前がついていて、買い換える際にはほとんど博打である。まるで競馬だ。

ともかく、効用から味から種類が多すぎる。たとえ対照実験をしようたって、私の永久歯の本数よりも多いのだからどうしようもない。まぁ、ホワイトニングがウリの歯磨き粉を塗ったところだけ白くなられても困るけど。

 

…なんてことをダラダラ考えていると、そういえば昔は歯磨き粉が苦手だったなということを思い出した。いや、昔というかごくごく数年前まで私は歯磨きの際に歯磨き粉をつけなかった。今からすれば考えられないけど。

そしてそれはどうしてか、と改めて考えてみると、きっと

『飲み込まないものに味がある』

という事実が到底受け入れられなかったからだと思う。私が飲み込むものには常に味があって、味という概念は常に飲み込むためにあったのだ。だから味があるのに飲み込まないというのは、横断歩道がないのに信号機が立っている、とか、免許がないのに車を持っている、とか、そういう矛盾したものだったのだ。なんで味があるのに吐き出すねん。

 

思えば、私はガムだってハナクソだって飲み込んでいた。味があって口に入れるのだから(ハナクソは違うけど)飲み込むのは当たり前なのだ。少なくとも幼少の私にとって味という概念は摂食行動に付随した補助的なものに過ぎなかった。

 

けれど、冷静になってみると、それはかなりオカシイ。だって味覚というのは認識を司る五感レンジャーの中の1人に数えられるヒーローなのだ。摂食などという下劣な欲望の付属品のワケがない。もう少しマジメに言えば、味覚というのはそもそも人間が口にするものが安全かどうかを見極める検閲官なのである。酸味があるから腐ってる、苦味があるから毒性だ、甘みがあるから栄養だ、みたいに。うむうむ。

 

…アレ、じゃあ、やっぱりオカシイことがオカシイ。だって、"吐き出さなければならない"のにどうして"味を売りに"するのだろう。歯磨き粉もチューイングガムもハナクソも吐き出さなければならないのなら最初から不味い味付けにしてくれればいいのだ。そして幼少の私はとても人間らしい(もしくは動物らしい)振る舞いをしていたということだ。たしかに味は摂食行動の付属品ではないけど、味覚はやっぱり摂食行動という生命活動に必要不可欠だったということか。うーむ、そもそも人類はなんで"味"で見極めるみたいな水際対策をとったのだろう。なんだか五感レンジャーのなかでも1番弱そうなのに。

 

 

…歯磨き粉は選んで仕舞えばアタリでもハズレでも数ヶ月は使わなくてはならない。そう言われればなんだかとても不条理な気がするけれど、思い返してみれば、ハナクソを食っていた頃から今までずっとそんな風にして多くのことを決めてきたかもしれない。殆どのことはテキトーな名前とか軽はずみな謳い文句だけで選ばなければならなかったような気がする。しかしまぁ、それでもアタリだろうがハズレだろうが愚痴を吐きながら嫌なことも飲み込んできたわけだ。毎日ゴシゴシ歯を磨くみたいに。

 

何が何だか分からなくなってきたが、それもこれも、種類が多すぎる歯磨き粉のせいである。まったく、困ったことだ。せめて歯磨き粉売り場に試食コーナーを作ってくれればいいのに。

 

…あぁ、そんなことをしたらまた歯磨き粉を飲み込んでしまうところだった。おわり。

【雑感 墓碑銘のない言葉たちへ】

あまりにも観念的になる。

 

昔から文章を書くことが好きだった。さらに言えば、幼い頃は自分には文章を書く才能があるのではないかと思ったこともあった。夏休みの読書感想文や税の作文では何度も賞をもらったし、冬休みの思い出なんかは本に載ったこともある。残念ながら当時の自信はどこかに置いてきてしまったのだけれど、とにかく文章を書くことが好きなのだ。

だから今もこうして、忘れた頃にやってくるしゃっくりと同じくらいの頻度で細々ブログを書いている。

 

物を書く中で私には不思議なことがある。

"音"を感じるのだ。

否、物を読んだり、または聞いたりするときにもソイツを感じることがある。言語化するのはとてもとても難しいのだけど、とにかく心地の良い質感のようなものを感じる。無理くり説明しようとすると"文の長さやリズム"、"言葉の運びや句読点"、みたいなものが『ある調和』を持つ文章に出会うとき、なんとも言えない気持ち良さを感じるのだ。

その、"音"による覚醒作用はしかし、少しでも調和が崩れた文章では全く不快なものになってしまう。非常に重要な内容であってもその"不協和音"のせいで読み進めることができなくなることがあるし、自分の書く物の中に不快な音の運びを感じることもある。

日本語がヘン、とか文法がヘン、とか言うのにも少しは似ているがやはり何か違う。全く辞書的に問題のない文章にも禁則和音が潜むことがある。

そういう、恐らく最も根源的だが最も捉え難い、ウイスキーを飲み込む後に一番最後にフッと抜けるピート香のようなものを、"音"と呼んでいる。(どこかにより適切な言葉があるようにも思うが)

 

その質感に気付いた頃から私は"音"の正体を探し続けている。そしてその挑戦は文章を書く営みの大きな動機と言っても過言でない。徹頭徹尾心地よい文章を書くために、または、心地よさをロジカルに説明するために、私は"音"に書かされ続けている。

また、その営みの裏には完成しなかった文章の死骸がうず高く積み上がっている。書きたいことが沢山あったのに途中で気持ち悪くなってしまったり、とても大事な何かに触れたかもしれないのに途中で止めてしまったり。

 

時折、そういう言葉の残骸の前に立って唸ってみる。やはりわからない。まだ最初から最後まで心地のいい文書に出会っていない。この文章もダメ。あの文章もダメ…。

 

…残念だが、如何にも観念的で陶酔と憐憫を一杯に含んだこのお話に特段のオチはない。むしろこれは決意表明である。限りなく観念的事由で抹殺された、無意味な言葉たちへ、その意味を見出すための決意表明。

 

今日も消せないブログの下書きには墓碑銘のない文章たちが並んでいる。

【紀行雑記7-2 Frankfurt Central】

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フランクフルト中央駅には改札がない。どころかヨーロッパの駅には基本的に改札がない。したがって街から駅を切り取るものがシステムの上で存在しない。その代わりに時々車掌が回ってきて検札する。我々が旅行者だと分かると、彼らは決まって最後に"良い旅を"と付け加える。

 

アムステルダムから数日をかけてブリュッセル、ルーベン、ケルン、マインツ、そしてフランクフルトを周る旅。ほとんどの移動が鉄道で、我々は旅のほとんどを車内で過ごした。車窓にはどこまでも続く平原が流れる。

鉄道で進む大地には国境がない。どこかの国に縛られるような感覚も突き放されるような感覚も存在しない。いつ国を超えたのか、いくつの国を超えたのか、そういう"離散的"な類の知覚は一切なく、ただ地面が広がり我々はそこを走るだけ。

むしろ国境は"連続的"に訪れる。風景の仔細が少しずつ変化し、注意を払えば人々の会話や掲示板の言葉も少し異なるように見えてくる。離散性の消失が連続性をより色濃く表出し、何かの"境"を超えることを印象させる。

 

地図を広げると、そこには海と陸地があって、陸地にはまるで子供のお絵かきみたいに"国境"が引かれている。考えてみれば奇妙な話だ。私とあなたが異なる何かであることはほとんど自明な理だが、ドイツとベルギーが異なる何かであることは、(少なくとも大地を走る列車の我々には)うまく認識できない。むしろ"国境"として地図の上で習ったから"あぁ、今頃私は国を超えたのかな"と感じることができるわけである。

で、あるならば、日本という国は斯様な文脈では少し特異的かもしれない。四方を海に囲まれ、物理的な意味において他国との連続性を断絶されている。そしてその事実は我々日本人の"くに・ひと・ぶんか"に影響を及ぼしていることは、もうたくさんの学者が指摘したことだろうか。

 

ともかく、彼らは明確な国境を持たないように見えた。どこかの国の国民であることは、各個人のある側面に過ぎないようだ。我々は歴史の上で博物学的知性でもって非常に多くの"箱"を獲得し、そこにいろんな物事を詰め込んだ。性別、宗教、国家、思想…。しかしそういう"カテゴリー分け"は、そのうちに各個人を表象する"個性"へと変容する。もう我々に"境"はない。これからは過去に集めた"箱"をかなぐり捨てて、世界の最小単位である"わたしとあなた"について考えれば良いのだ。

 

レーマー広場でソーセージをかじりながら冷えたビールを飲んでいると、教会の鐘がなった。旅の終わりである。

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