【雑感 歯磨き粉には試食がない】

素晴らしいことに、歯磨き粉はおよそ口内環境と呼ばれる類のものは全て網羅的に処理してくれる。歯周病歯槽膿漏も知覚過敏もホワイトニングまで、なんでもだ。

けれどそれと同じくらい残念なことに、種類が多すぎる。そんなになんでも治せるのだったら全部が全部1本で治せる歯磨き粉を作ってくれればいいではないか。…まぁ人生そんな甘くはないのだろう。

加えて、歯磨き粉の"味"にも問題がある。ミントなんとかだとか、クリーンなんとかだとか、それだけでは一切味の想像がつかないような名前がついていて、買い換える際にはほとんど博打である。まるで競馬だ。

ともかく、効用から味から種類が多すぎる。たとえ対照実験をしようたって、私の永久歯の本数よりも多いのだからどうしようもない。まぁ、ホワイトニングがウリの歯磨き粉を塗ったところだけ白くなられても困るけど。

 

…なんてことをダラダラ考えていると、そういえば昔は歯磨き粉が苦手だったなということを思い出した。いや、昔というかごくごく数年前まで私は歯磨きの際に歯磨き粉をつけなかった。今からすれば考えられないけど。

そしてそれはどうしてか、と改めて考えてみると、きっと

『飲み込まないものに味がある』

という事実が到底受け入れられなかったからだと思う。私が飲み込むものには常に味があって、味という概念は常に飲み込むためにあったのだ。だから味があるのに飲み込まないというのは、横断歩道がないのに信号機が立っている、とか、免許がないのに車を持っている、とか、そういう矛盾したものだったのだ。なんで味があるのに吐き出すねん。

 

思えば、私はガムだってハナクソだって飲み込んでいた。味があって口に入れるのだから(ハナクソは違うけど)飲み込むのは当たり前なのだ。少なくとも幼少の私にとって味という概念は摂食行動に付随した補助的なものに過ぎなかった。

 

けれど、冷静になってみると、それはかなりオカシイ。だって味覚というのは認識を司る五感レンジャーの中の1人に数えられるヒーローなのだ。摂食などという下劣な欲望の付属品のワケがない。もう少しマジメに言えば、味覚というのはそもそも人間が口にするものが安全かどうかを見極める検閲官なのである。酸味があるから腐ってる、苦味があるから毒性だ、甘みがあるから栄養だ、みたいに。うむうむ。

 

…アレ、じゃあ、やっぱりオカシイことがオカシイ。だって、"吐き出さなければならない"のにどうして"味を売りに"するのだろう。歯磨き粉もチューイングガムもハナクソも吐き出さなければならないのなら最初から不味い味付けにしてくれればいいのだ。そして幼少の私はとても人間らしい(もしくは動物らしい)振る舞いをしていたということだ。たしかに味は摂食行動の付属品ではないけど、味覚はやっぱり摂食行動という生命活動に必要不可欠だったということか。うーむ、そもそも人類はなんで"味"で見極めるみたいな水際対策をとったのだろう。なんだか五感レンジャーのなかでも1番弱そうなのに。

 

 

…歯磨き粉は選んで仕舞えばアタリでもハズレでも数ヶ月は使わなくてはならない。そう言われればなんだかとても不条理な気がするけれど、思い返してみれば、ハナクソを食っていた頃から今までずっとそんな風にして多くのことを決めてきたかもしれない。殆どのことはテキトーな名前とか軽はずみな謳い文句だけで選ばなければならなかったような気がする。しかしまぁ、それでもアタリだろうがハズレだろうが愚痴を吐きながら嫌なことも飲み込んできたわけだ。毎日ゴシゴシ歯を磨くみたいに。

 

何が何だか分からなくなってきたが、それもこれも、種類が多すぎる歯磨き粉のせいである。まったく、困ったことだ。せめて歯磨き粉売り場に試食コーナーを作ってくれればいいのに。

 

…あぁ、そんなことをしたらまた歯磨き粉を飲み込んでしまうところだった。おわり。