【仮説 我々はあと何分で幸せになれるか】
私が自己存在について最も深く考察するは、決まって金曜日の朝である。私を私たらしめる要素について、もしくは私の中にある私ではない要素について、思索を巡らせる。厭世的に、或いは楽観的に。
ふぅ、まったく、どうしてこうも毎週お腹が痛くなるんだろう。どうしていつまでたっても家でトイレに行こうと思わないんだろう。
私は毎週のようにバスでうんこを我慢している。私を支配する耐え難き苦悩に気付く者は誰もいないし、その原罪の意味については私だってわからない。しかしとにかく、腹が痛い。
降車駅に近付くにつれ、下腹部の悪魔はいよいよその存在感を強め、一瞬でも気を抜こうものなら即座に車内を支配せんとする勢いでもって訴えかけてくる。もう、本当にダメかもしれない。
(中略)
それでもなんとかバス停に着いて歩き出す、近くの駅から今度は電車に乗るのだが、この駅にはそこそこ信用できるトイレがあるのだ。
(*トイレに対する信用、という考え方に不慣れな方もいるかもしれませんが胃腸の弱い小生のような者にとってトイレの使いやすさ、空き具合、紙の有無など、トイレには信用できるものとそうでないものがあります)
そんなわけでここから私と悪魔のチキンレースが始まる。押し寄せる波の合間に束の間存在する引き波、悪魔不在のこの瞬間にどれだけトイレに近づけるか、私の私による私だけのチキンレース。これはもう、人生の縮図だ。
(中略)
チキンレースに耐え抜くとまもなく天国が見えてくる。あぁ、長かった、悪魔ともこれでお別れだ。せいぜい下水処理場で可愛がられてくれ。
…と、そうスンナリと終わればカンタンなのだが、そうではない辺りが人生の難しいところである。私と同じような顔をしたオッサンたちが並んでいるのだ。天国の順番待ち、幸福への待合室。
ここまできて、負けるわけにはいかない。ポケモンサファイアで言えばチャンピオンロード通過、HUNTER×HUNTERグリードアイランド編で言えばゲンスルーを追い詰めた辺りだろうか。
とにかく、トイレでうんこを漏らすなんてのは末代までの恥である。ここからは精神力勝負。
むむ、ところで、
私は一体とどのくらい待てば良いのだろう。
と、そんなことを考えてみる。気を紛らわしているのだ。
ふむふむ、そういえば待ち行列理論という応用数学の話があったな、などと思い出す。人は逆境に立たされた時に真なる力を発揮するものだ。冴えている。
待ち行列理論。電話交換手や、病院などの公共サービスの待ち時間、情報処理などの性能評価に用いられる数学理論で、早い話が"どれくらい待てばサービスにありつけるか"ということを考える分野だ。これはうんこ待ち行列にも使えるかもしれない。
待ち行列理論の数理モデルは非常に多岐に渡るのだが、最もシンプルなものを考えてみる。(うんこ我慢してるから複雑な計算はできない)
必要な情報は、
1.待つ人がどのくらいの時間で増えるか。(単位時間あたりの待機者の増加率)
2.1人がトイレを終えるのにかかる時間。(1人がサービス処理に要する時間)
である。
用いるモデルはM/M/1モデルというやつで、これは真面目な話をすると、
1.待ち行列の待機者の増加確率が指数分布
2.サービス処理にかかる時間の確率分布が指数分布
3.サービス処理窓口が1つのみ
というモデルである。
このモデルから得られる平均待機時間は、
(平均時間) = (待機者増加速度) / *1 × (処理時間)
で計算される。(詳しくは待ち行列理論で検索してください)
てなわけでテキトーな値を入れて計算してみる。だいたい2分に1人オッサンが増えて、5分でうんこするとしよう。個室は4つあるからうんこする時間は4で割るか。そうすると…
待ち時間はだいたい2.06分!(うんこ我慢してるので間違ってるかも)
つまり、私は並んでから2分待てば天国へたどり着けるわけである。幸福を、この手に掴むことができるのだ。
…悪魔そっちのけでそんなことを考えていると、2分もしないうちに個室が開いた。旅の終わりである。
今、ホームに立ってこの文章を書いている。あの凄惨な闘争がもう遠い過去のようだ。そういえばさっき考えていたトイレの待ち行列、大学に着いたらもう少し複雑なモデルで定量化してみるか。
…そんなこと言ってるからまた我慢するハメになるのだけど。おわり。
(この話にオチはありません。うんこ漏らしたら盛大なオチになったけどさすがにそこまで体張れません。)
*1:処理時間) ー (待機者増加速度